お使いのブラウザはJavaScriptに対応していません。 父の思い出  ◇北海道犬博物館◇





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伝法貫一の世界(トップ)
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伝法貫一の略歴
父の思い出(白井和子)
貫一おもしろ秘話
フォトギャラリー(スライドショー)

 
愛犬の餌係りが子供達の仕事だった(右の少女が筆者)
          (提供:伝法貫一氏親族)

白井和子さん (伝法貫一氏の長女、兵庫県三田市在住)

・父の思い出
 私の記憶の中にある父、伝法貫一の姿として、印象に残っているのは戦前の活気に満ちた姿です。北海タイムス社(後の北海道新聞社)の記者だった父は、事業部でスポーツ関係はじめ、様々な新しいイべントを企画していました。北海道初のジャンプ大会を開催したり、柔道や剣道の大会を、タイムス社後援で応援したりして、道内各地域、学校のスポーツ振興育成に力を注ぎました。また、その頃には、とても目新しい、婦人部(ご婦人方を対象にしたサークルのようなもの)を作って、観劇や旅行を企画し、札幌の奥様方の間では人気を博したとか。婦人部の旅行の引率係として出かける時の、ウールの千鳥織りのおしゃれなスーツ姿は、今でもよく覚えています。犬以外でも、多趣味で、馬もスキ-も大好きで、犬仲間、馬仲間、スキ-仲間と、何処に行っても友人がたくさんいました、馬仲間で遠乗会を楽しんだり、スキ-では、クロスカントリ-や犬ぞリを楽しんだり、現代の人よりずっとハイカラで、優雅な日々を楽しんでいたように思います。

・アイヌ犬にまつわる思い出
 物心ついた頃から、家には犬がいました。アイヌ語で美しい娘のことをピリカといいます。そこで、我が家の牝犬は、代々ピリカと名づけられ「ペリ」と呼んでいました。初代のぺリは白、2代目のペリはうすい茶色(ベージュ)でした。餌の係りは、子供達の仕事です。父が作った岡持ちに、麦ご飯や近所の魚屋さんからもらったアラを炊いたものを、器に入れて、庭にもっていき、置いていきます。冬は雪の上に置くと冷めて、食べやすい温度になったものです。父は、常に原稿用紙と新聞記者独特の太い万年筆を片時も放さず、巻尺 曲尺で何かを計測しては書いていました。父の書いた書物を最近読み返し、それがアイヌ犬の骨格をあれこれ研究していたのだとわかり感嘆しています。父の称えられるべき点があるとしたら、アイヌの人々との心からの交流だったと思います。当時(昭和の初期)アイヌの人達は、町には殆ど出てくることはなく、それぞれの集落で猟などで生活していました。その集落に一人足を運び、真のウタリ(友人)となり、そうした中で、家族の一員として暮らすアイヌ犬の素晴らしさに惹かれ、アイヌ犬にのめりこんでいったのだと思います。アイヌの人達は,みんな温厚でとても優しかったと記憶しています。小さい頃父に連れられて、訪れた日高の集落では、夕方になると始まる弓踊りや、顔に刺青を入れたおばあさんがいた事等今も忘れられない光景です。小山田さん、今泉さん、中本さん、みんな優しいアイヌのウタリです。「伝法しゃん、また来たよ」と家に見え、犬の話、熊打ちの話、あの犬はどうだこうだと話は尽きず、それは私ども家族は、入り込む事の出来ない、父達の至福の時だったのでしょう。アイヌの方々のみならず、多くの犬仲間の方々が我が家で、毎晩毎晩、熱弁で語り合っていた事を、懐かしく思い出します。札幌の三越、丸井百貨店の屋上に犬小屋をズラリと並べ開催した、アイヌ犬の展覧会も見事な光景でした。遠く大阪からも、愛好者が見えたり、勿論千歳のアイヌの方々も多数参加していました。父が先頭で、審査員数名の方と、例の父の唱えた体型とか風格とかに基づいての熱の入った展覧会でした。これら、有名無名の知人の力と、千歳のアイヌの方々、アイヌ犬愛好家の情熱が、アイヌ犬保存会が北海道犬保存会へと発展していくルーツだった様に思います。

・千歳アイヌ犬牧場
 晩年は、子供達の世話になることなく、69歳にして、念願のアイヌ犬牧場を千歳に開き、犬仲間の友情に支えられ、アイヌ犬の育成、日本各地への講演や審査と、アイヌ犬三昧の六年間を過ごさせていただきました。最晩年、病床から末の娘に宛てた手紙には、「元気になったら各地への講演や、アイヌ犬の輸出と忙しくなる」といった文が記されていました。父の年齢に近づくにつれ、最後まで情熱を失わず、人生に失望せず、この次はこうしよう、明日はこうしようと、常に未来に夢を繋いでいた姿に敬服します。私共の、この様な思い出話が、アイヌ犬愛好家の方々の活動のカンフル剤になれるなら、父共々、この上ない幸せです。

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